Blog

奏でたい音楽

奏でたい音楽。
こんな音楽が自分の手で奏でられたら素敵だな、と思う曲。
そんな曲に、今年はトライしていこう。
と「Man and Woman」を聴いていて思う。

去年は、ウクレレの可能性を広げる演奏への憧れから、JakeやAldrine Guerreroの完コピに徹した。
単純に面白くて取り組んでいたから得るものは多かったけれど、振り返って思うと、自分が音楽に対して取りたい態度とはどこか違う。

やりたいのは、難しいプレイや派手なパフォーマンスではなくて、心を震わせた音楽を自分で奏でること。
主役は演奏者ではなくて、楽曲そのものであって欲しい。

その意味では、Jakeの完コピも、最初は「震わせてくれたあの音楽を再現したい」という欲求があった気もする。
難しいプレイに飲み込まれすぎたのかなあ。

バラバラとまとまっていないけれど、何となく方向性が見えてきた気はしている。

「トウキョータワー」Aメロのモーダルインターチェンジ?

結論から言えば、モーダルインターチェンジではなかった。
部分転調と言うのかな?
ともあれ、理論で後追いできないけれど、素晴らしい音楽というのは存在する。
自分の耳で音楽作れる人ってすごいなあ。

ということで、モーダルインターチェンジの分析は、「音の外し方」をカテゴライズするために使うことにしよう。
「音が外れた」っていうことに気付くためのダイアトニックコードに関しては、しっかり習熟しよう。

続きを読む 「トウキョータワー」Aメロのモーダルインターチェンジ?

「PRIDE」のモーダルインターチェンジ

CHAGE&ASKA「PRIDE」。
この曲の力強さの一端はここにある(と思う)。
歌詞の盛り上がりと連動して、モーダルインターチェンジしている。
Ionian(Major)からLydianへ。
もちろんこんなの曲の細部の話でしか無いが、細部の集積こそ芸術。
続きを読む 「PRIDE」のモーダルインターチェンジ

「that what friends are for」のモーダルインターチェンジ

CHAGE&ASKA楽曲の分析に必要になりそうなモーダルインターチェンジ。
Burt Bacharach作曲の「that’s what friends are for」を例に教わった。
続きを読む 「that what friends are for」のモーダルインターチェンジ

見世物ではなく音楽を(2)

見世物ではなく音楽を。
このコンセプトには完全同意だ。
ただ、その境界線は曖昧なもので、何をもって音楽と見世物を区切るかは人によって変わるものだ。

その境界線はどこにあるのか。
見世物と区別しなければならないほど、音楽にしか無い価値って何だろう。

続きを読む 見世物ではなく音楽を(2)

見世物ではなく音楽を(1)

音楽に対するスタンス、というか、コミットするときの拠り所を決めかねている。
これまで音楽は歌詞で聴いてきたから、楽器だけの音楽にどう付き合って良いのか、よく分からない。
単純に楽しいんだからいいじゃない、という見方も出来るが、やっぱり時間をかけてやるからには、その中心的な価値に段々と近づいて行きたい。
今は、「卒jake」の命題を与えられただけで、簡単にぐらついてしまう程度のものしかない。
自分がどんなモチベーションでウクレレを弾きたいのか、整理してみたい。

見世物ではなく音楽を。
インストの世界でよく聞かれるこのコンセプトを通して、音楽とは何かを自分なりに考えてみる。
まずは、このコンセプトにはとても共感出来るという話。

続きを読む 見世物ではなく音楽を(1)

音を外すセンス

ひとり咲き~私的チャゲアス随想~「2nd」より、「トウキョータワー」について。

AメロはG-B7-Em-C-E♭/G-Dm7-CM7-Fという進行。Aメロ2回目の繰り返しの最後はDm7-Gとまとめます。B7の「せいで」とE♭の「フゥ~」の部分の音の外しがChageさんらしさ。
BメロはAmに移調。
(中略)
サビはGに戻ります。G-Bm-CM7-Cm6-GonB-B♭dim-Am-Gという進行。ディミニッシュコードの「ゆめかけらをね」の部分で切なさ倍増。このディミニッシュコードは別メロディが挟み込まれる「聞きあきた」からの部分にも使われています。「痛みさえも抱えながら」の部分です。

続きを読む 音を外すセンス

Eb Major Scaleのキャラクター(仮)

穏やかに盛り上がり、溢れそうなまでに膨らみながらも、綺麗に着地するラブソング。
もちろん、ラブソングじゃないEb Majorもいっぱいあるだろうし、このまとめ方は適切じゃないかもしれないけれど、自分の好きな曲がここに揃っていた。

続きを読む Eb Major Scaleのキャラクター(仮)

挫折ともがきのコード進行

ひとり咲き~私的チャゲアス随想~「NEVER END」より、「月が近づけば少しはましだろう」について。

だれもが味わう挫折とそれを乗り越えようとしてもがく人の姿を描きます。「動きたくない」からの転調を除くと、コード進行はシンプルというか定番です。ビートルズの「Let It Be」風のコード進行なのです。ただし、あくまで「風」であって同じではないですよ。この直後に発表したチャゲアスの「NO PAIN NO GAIN」でもこのコード進行を使っているのですが、生きることの苦しみを歌うことでは共通しています。

この2つが、同じコード進行とは。(月が〜とno pain〜)
確かに、どちらの曲も、静かにうねるような曲調で進行していき、サビでの盛り上がりは、ギュッと絞られ引きちぎられそうになるギリギリのところで耐えているように、ASKAが雄叫びを上げる。
そんな感じが共通しているかもしれない。