音を外すセンス

ひとり咲き~私的チャゲアス随想~「2nd」より、「トウキョータワー」について。

AメロはG-B7-Em-C-E♭/G-Dm7-CM7-Fという進行。Aメロ2回目の繰り返しの最後はDm7-Gとまとめます。B7の「せいで」とE♭の「フゥ~」の部分の音の外しがChageさんらしさ。
BメロはAmに移調。
(中略)
サビはGに戻ります。G-Bm-CM7-Cm6-GonB-B♭dim-Am-Gという進行。ディミニッシュコードの「ゆめかけらをね」の部分で切なさ倍増。このディミニッシュコードは別メロディが挟み込まれる「聞きあきた」からの部分にも使われています。「痛みさえも抱えながら」の部分です。

この曲は非常に印象に残る曲なのだけれど、ちゃんと理由があったのか。
印象に残っているのはまさに上記で指摘されている部分。
あえて音を外して心地良さを醸しだしてしまうセンスがすごい。

歌い出しから印象的で、「無気力な言葉のせいで途方にくれる僕の指」の部分は、「せーいーでー」と伸ばして歌うのと合わせてふわりと浮いた感じがする。
まさに途方にくれた感じ。言葉と音がマッチしているのが素敵。
やっぱり同じ人が作詞作曲をしているからこその面白さだ。
ダイアトニックコードの進行に縛られるなら、Bmを使うべきところを、あえてB7へと外してしまうこのセンス。

間奏に挿入される別メロディも好き。
「聞き飽きた雑音の中で 耳を押さえるより 僕らは 痛みさえも抱えながら 日々を送ろう」
歌い方が特に力強くなるというわけでもないのに、「痛みさえも抱えながら」という歌詞が目立って聴こえる。
これがディミニッシュコードか。
(G Major ScaleのダイアトニックコードにあるのはF#dimなので、ここは同時に部分転調もしているのだろうけれど)

音楽は理屈じゃない。
でも、凡人にとってみれば、理屈は音楽の凄さに迫れるツールだ。
理屈を当てはめてみることで、理屈に合わない浮き立つ部分=作曲家の個性・凄みに気付くことが出来る。
こういう理屈のこね方がしたいのだ。

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