音楽に対するスタンス、というか、コミットするときの拠り所を決めかねている。
これまで音楽は歌詞で聴いてきたから、楽器だけの音楽にどう付き合って良いのか、よく分からない。
単純に楽しいんだからいいじゃない、という見方も出来るが、やっぱり時間をかけてやるからには、その中心的な価値に段々と近づいて行きたい。
今は、「卒jake」の命題を与えられただけで、簡単にぐらついてしまう程度のものしかない。
自分がどんなモチベーションでウクレレを弾きたいのか、整理してみたい。
見世物ではなく音楽を。
インストの世界でよく聞かれるこのコンセプトを通して、音楽とは何かを自分なりに考えてみる。
まずは、このコンセプトにはとても共感出来るという話。
好きなパンデイロ奏者に、長岡敬二郎という方がいる。
教則DVD「パンデイロ入門」の中で、彼の師匠ジョルジーニョ・ド・パンデイロの言葉を引用してこう言う。
パンデイロはその奏法と存在感のゆえ、ともすればテクニックだけが独り歩きしがちな楽器。ブラジルでも超高速で叩けるとか、ウルトラCテクニックが出来るということを自慢しているパンデイロ叩きは沢山いるよ。でもソレは音楽ではないし、ただの見世物にしかならない。
本当に大事な事は自分の演奏が音楽になっているか、その音楽に対してどれだけ敬意を払っているか、その音楽が生まれてきた国や、それを演奏する人々や文化に対して尊敬の念をもっているかということじゃないのかな?
長岡敬二郎のデモパフォーマンスと共にこのテロップが流れて、いっぺんにパンデイロという楽器が好きになった。
音楽は、上手い下手とは別のところに存在している。
この言葉に触れて以来、Jakeのコピーをするときにも、テクニック以外に目を向けるようになった。
Jakeの演奏で尊敬すべきは、ウクレレの音に彼の感情を込めているということだ。
それがあるからこそ、Jakeの音楽が成り立っている。
仮に、他の誰かがテクニックだけをコピーして「俺スゴイっしょ」とでも言おうものなら、それは音楽ではなくて見世物に成り果てる。
そんなコピーはしたくない。
少なくとも、見世物にしかならない演奏はしたくない。
でも、じゃあどんな音楽にしたいのかというと、この話だけではまだ見えて来ない。