友人談、書道。
すでに最高の到達点は存在していて、あとはどうアレンジしていくのか、という世界。
書くときの迷いが反映されたりすることで、オリジナリティが出る。
カテゴリー: 雑記
歌詞のない曲。
ASKAは曲を先に作って、後から詞を入れると言う。
歌詞がなかなか出来なくて、楽器のレコーディングが終わってから、ようやく歌詞が出来ることもあるとか。
今まで考えたことも無かったけれど、このとき、ミュージシャンたちにとっては、歌詞のない曲を演奏していることになる。
この曲はこういう曲だ、というのを自分は主に歌詞で評価する。それを彼らは歌詞のない段階でやっているのか。
不思議。
クラブ+ロック
アルバムコンセプトとして「クラブミュージックとロックミュージックの融合」という言葉が当時はよく使われていました。
(中略)
いわゆるクラブっぽさを醸し出しているのはリバーヴを効かさず無機質で機械的なドラムの音とあまり大きく起伏しない骨太なベース音です。「同じ時代を」や「In My Circle」のような温かみのある歌でもドラムとベースの音は無機質な『kicks』の音なのです。
クラブミュージックってこういう部分を指していたのか。
「Girl」はいつか挑戦したい名曲。
無機質で機械的な音って、ウクレレで作れるのかしらん。
このアルバムを最初に聴いた時には、異色すぎてぎょっとした。
でも今は普通に格好良いなと思って聴く。
何が心を打ったんだろう。
奏でたい音楽
奏でたい音楽。
こんな音楽が自分の手で奏でられたら素敵だな、と思う曲。
そんな曲に、今年はトライしていこう。
と「Man and Woman」を聴いていて思う。
去年は、ウクレレの可能性を広げる演奏への憧れから、JakeやAldrine Guerreroの完コピに徹した。
単純に面白くて取り組んでいたから得るものは多かったけれど、振り返って思うと、自分が音楽に対して取りたい態度とはどこか違う。
やりたいのは、難しいプレイや派手なパフォーマンスではなくて、心を震わせた音楽を自分で奏でること。
主役は演奏者ではなくて、楽曲そのものであって欲しい。
その意味では、Jakeの完コピも、最初は「震わせてくれたあの音楽を再現したい」という欲求があった気もする。
難しいプレイに飲み込まれすぎたのかなあ。
バラバラとまとまっていないけれど、何となく方向性が見えてきた気はしている。
モーダルインターチェンジ分析支援アプリ
モーダルインターチェンジ分析支援アプリ(ベータ版)作りました。
キーを選択すると、各モードのダイアトニックコード一覧を出力します。
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「that what friends are for」のモーダルインターチェンジ
CHAGE&ASKA楽曲の分析に必要になりそうなモーダルインターチェンジ。
Burt Bacharach作曲の「that’s what friends are for」を例に教わった。
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見世物ではなく音楽を(2)
見世物ではなく音楽を。
このコンセプトには完全同意だ。
ただ、その境界線は曖昧なもので、何をもって音楽と見世物を区切るかは人によって変わるものだ。
その境界線はどこにあるのか。
見世物と区別しなければならないほど、音楽にしか無い価値って何だろう。
見世物ではなく音楽を(1)
音楽に対するスタンス、というか、コミットするときの拠り所を決めかねている。
これまで音楽は歌詞で聴いてきたから、楽器だけの音楽にどう付き合って良いのか、よく分からない。
単純に楽しいんだからいいじゃない、という見方も出来るが、やっぱり時間をかけてやるからには、その中心的な価値に段々と近づいて行きたい。
今は、「卒jake」の命題を与えられただけで、簡単にぐらついてしまう程度のものしかない。
自分がどんなモチベーションでウクレレを弾きたいのか、整理してみたい。
見世物ではなく音楽を。
インストの世界でよく聞かれるこのコンセプトを通して、音楽とは何かを自分なりに考えてみる。
まずは、このコンセプトにはとても共感出来るという話。
音を外すセンス
ひとり咲き~私的チャゲアス随想~「2nd」より、「トウキョータワー」について。
AメロはG-B7-Em-C-E♭/G-Dm7-CM7-Fという進行。Aメロ2回目の繰り返しの最後はDm7-Gとまとめます。B7の「せいで」とE♭の「フゥ~」の部分の音の外しがChageさんらしさ。
BメロはAmに移調。
(中略)
サビはGに戻ります。G-Bm-CM7-Cm6-GonB-B♭dim-Am-Gという進行。ディミニッシュコードの「ゆめかけらをね」の部分で切なさ倍増。このディミニッシュコードは別メロディが挟み込まれる「聞きあきた」からの部分にも使われています。「痛みさえも抱えながら」の部分です。
挫折ともがきのコード進行
ひとり咲き~私的チャゲアス随想~「NEVER END」より、「月が近づけば少しはましだろう」について。
だれもが味わう挫折とそれを乗り越えようとしてもがく人の姿を描きます。「動きたくない」からの転調を除くと、コード進行はシンプルというか定番です。ビートルズの「Let It Be」風のコード進行なのです。ただし、あくまで「風」であって同じではないですよ。この直後に発表したチャゲアスの「NO PAIN NO GAIN」でもこのコード進行を使っているのですが、生きることの苦しみを歌うことでは共通しています。
この2つが、同じコード進行とは。(月が〜とno pain〜)
確かに、どちらの曲も、静かにうねるような曲調で進行していき、サビでの盛り上がりは、ギュッと絞られ引きちぎられそうになるギリギリのところで耐えているように、ASKAが雄叫びを上げる。
そんな感じが共通しているかもしれない。