歌詞のある楽曲から、歌詞を抜いて音だけのインストにしたならば、それは不完全な楽曲なのではないか?
最近の考え事を、敢えて尖った問いの形にしたならば、おそらくこうなる。
歌詞を音楽の価値と見ていた自分にとって、インストとの距離感がなかなか掴めずにいる。
でも、CHAGE&ASKA楽曲のソロアレンジを組みながら、インストだけでも不完全ではないんだということがようやく分かった。
曲に埋められたイメージの塊を、うまく引き出すことが出来るなら。
モーダルインターチェンジの話を学んで気づいたことは、歌詞を聴いた時に受ける印象は、必ずしも言葉だけから得ているわけではないということ。
単にメジャースケール・マイナースケールという大枠の話だけではなくて、ダイナミクスを活かせば開放感や厳かな雰囲気が出るし、モーダルインターチェンジなど音を外すことで真摯さを増したり救いのような響きを出すことも出来る。
歌詞が楽曲のイメージを作ることはもちろんだけれど、それだけではなくて曲にもイメージがあるし、曲と歌詞はダイレクトにつながっている。
ASKAは曲が先で歌詞は後。
曲の雰囲気から外れないように歌詞を乗せていく、のではなくて、
曲に埋められたイメージの塊を、言葉の形で引き出していく。ということではないか。
それを、言葉という形の代わりに、ウクレレの音という形で引き出していけば、ウクレレのインストが出来上がる。
ASKAが曲に向き合って言葉を探したように、その曲に向き合ってウクレレの音を探す。
曲に潜んだイメージの具体化、その結果の1つがインストのアレンジ。
そういう風にアレンジが出来るようになったら素敵だなあ。